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庄左ヱ門窯(松庄)
Shozaemongama pottery in Shigaraki
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annexed shop / SHIROTANUKI

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窯元としての今の想い
(代表取締役・奥田泰央 2025年1月)
私はすごくラッキーな人間だと感じます。
ただその運を掴む為の努力を自分なりにはしてきたつもりです。
400万年前に現在の伊賀・信楽地域には大きな湖の琵琶湖がありました。
地殻変動で現在の位置まで動いたのですが堆積物はそのまま「良質な土」として残り脈々と人間の手によって甕など多くの日用品や美術品が作られてきました。また地面には松の木も多く燃料にも事欠かない環境で近くには当時の首都「京都」があり地理的優位な事もあり多くの需要がありました。
そんな土地に生まれた事、それがラッキーの始まりです。
私の先祖は10代以上続く庄屋を営んでいたと聞きます。そんなボンボンの環境を曽祖父に当たる時代に財産が無くなった事で祖父は陶器製造に従事しだし、50歳の時に独立しました。父は20歳過ぎで大都市の大阪の証券会社に勤めていたと聞いていますが、祖父が独立するにあたり即断即決で田舎の信楽に帰らされたと言ってました。父は証券会社の営業マンとして業績はよかったと言ってました。その人の心に入り込む経験を信楽での仕事に活かし会社を大きくし、私たち子供達を食べさせてくれました。
1985年あたりになると日本はバブルという好景気に入り、父の力は大いに発揮し2000年を迎える前には新しい工場も建て、窯元として更なる飛躍を考えていた矢先、経営が急降下しました。父のやり方が新しく代替わりしだしたお客様に合わなくなってきたのが原因です。
私もその頃から経営に携わっていました。それまでは食器を中心に製造していた窯元で地元の商社さんや商店さんとお取引をしていたのですがなかなか難しく…新たに父が経営を始めた頃から久しくお付き合いがなかった窯元さんの仕事もいただく事になりました。その窯元さんは土鍋を中心に製造し更には自社で営業や販売もされていましたので多くの商品に携われましたが、以前のような環境ではなくなりました。納期、商品の精度が全然違うのです、今まで会社のやり方には合わなく25年取引がありますが今年やっと…やっと。。
話を戻しますが新工場ができた3年後には私が経営を引き継ぎました。
「慣れない経営、今までとは違う基準」にも戸惑いましたが今となってはすごく勉強になりましたし何より土鍋という新しい商材に出会いました。
ですので私が今まで何かを成し遂げた事はあまりなく、ただ毎日を大切に暮らしてきただけで、すごくラッキーなだけの人間です。